2020/05/02
高齢者を喜ばせることは特別な行為でも何でもなく、誰かに喜んでもらえれば自分も嬉しい、というごく当たり前の感覚の延長にある。
だからこそ、
「高齢者だから気をつかわなきゃいけない」
「言うことをきいてあげなきゃいけない」
と考え出すと、いつのまにか義務感や押しつけが先立ってしまい、自分のほうはただ言われたことをこなすだけになってしまうのかもしれない。
そうやって「高齢者が言うからしかたなくやる」というスタンスに陥ると、どんなに必要なケアやサポートであっても面倒だと感じるし、気持ちが疲れてしまう。すると、結果として相手を喜ばせるどころか、お互いに楽しみを見いだせないまま時間だけが過ぎることになる。
そうではなく、
「どうすれば喜んでもらえるだろう?」
と発想するだけで、相手の表情や好き嫌いを思い浮かべたり、実際に会話を重ねてヒントを探してみたりと、ちょっとした工夫の余地が生まれる。
その工夫をしている時間そのものが、相手のことを思いやり、考えを巡らせる豊かなひとときだ。
例:特養に加湿器を置く場合
わかりやすい例として、特別養護老人ホームで暮らしている高齢者のお部屋に加湿器を置く場合を想像してみよう。
乾燥が気になる季節には確かに加湿器は必要だが、ただ「乾燥対策だから置いておくね」というだけでは事務的で、あまり心がこもっているようには伝わらない。そこに一工夫してみる。お部屋のレイアウトや空気の流れを考えて、本人が日中過ごしやすい場所にさりげなく置いてみるとか、加湿器にお花のシールを貼ってみるとか。
もちろん、置き場所やシールの花柄は好みがあるだろうから、まずは「この場所でいいですか?」とか「シンビジウムがいいかな?それともバラかな?」など、声をかけてみるのも大切だ。そんなふうに一緒に決めれば、加湿器という一見単なる機械も、心地よさを共有するためのちょっとした“仕掛け”になる。
喜ばせるのは、高齢者に限らない
結局のところ、高齢者へのサポートにおいても「相手を喜ばせる」という気持ちは、友人や家族、あるいは仕事仲間に対して抱くものと変わらない。違いがあるとすれば、体調面や生活習慣などに合わせて、よりきめ細やかに気配りする必要があるというくらいだ。
つまり、大事なのは年齢などではなく、「この人にとって何が喜びにつながるのか」を考え続ける姿勢だろう。そうした姿勢は、“介助する側”にも生き生きとした感覚を取り戻させてくれる。無理やり「言うことをきく」必要はない。むしろ工夫を凝らして、どう喜ばせるかを考えるほうが、ずっと自分自身も楽しいはずだ。結果として相手が笑顔を見せてくれれば、そこにいるみんなが心地よく過ごせるようになる。それこそが、お互いにとっての幸せにつながるのではないだろうか。